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へら浮子の歴史ー其の二

 
 
 
〜逆光用アンドンキャップの出現〜
今日の逆光トップの元祖である逆光用キャップが登場して大評判になったのが昭和26年暮れのことです。そのころのへら浮子(ヘラウキ)は、羽根浮子に黒の目盛りを入れただけのものですから、朝晩の逆光時などは全く見えず、カンで合わせていたのが実状でした。
ある時小鳥の羽根の付け根にある透明部分を浮子(ウキ)の頭に取り付け、内側に赤インクを塗ったものが現れたそうです。逆光時には浮子が見えないに等しかった当時としては、正に画期的な試みであり、幾ばくもなく、逆光キャップ浮子が小池に乱浮することとなります。
2年後、これが塩ビやセルパイプに変わり、更に31年、浅草の須藤健作さん(くし玉作者)が目盛りに蛍光塗料を塗ったものを登場させ、このパイプをつけた浮子をアンドン浮子と命名されましたが、逆光時に光を放たれるこのキャップは、まさにアンドンの名にふさわしいものでした。また須藤さんは先の昭和27年には、クジャクの羽根のソリを細糸でタメて修正することも発表されていたため、その後の羽根浮子は、真ぐなものが使えるようになりました。また、浮子作りのパイオニアの一人、浦和の木村国男さんも、羽根を一旦カミソリで二つに割ってから再び貼り合わせるというソリ修正法を考案、これが今日の貼り合わせ浮子の伏線ともなるのですが、このころを境に、ヘラマニアによって創意工夫された浮子が続々と登場、へら浮子(ヘラウキ)の変革もいよいよ急を告げることになるわけです。
 
〜接ぎ浮子の登場〜
戦中から富士五湖の精進湖に住まわれて、同湖を開拓されていた鈴木魚心さんは、ヤマベが多く風の強い土地柄から、昭和25年頃、すでに太さ4〜5ミリ、長さ20センチ、浮力2グラムもあるような太いクジャクのはね浮子を使われていました。当時としてはまだ浮力1グラム前後の細身のものが広く使われていました。しかし、この軽い仕掛けでは、風の強い野釣りにはコントロールがつけにくいだけでなく、餌の馴染みが遅くて非効率なことや、ジャミなどの対処からも、浮子に浮力を持たせることが要求されてきたのです。この必然的ともいえる要求から、浮子の下に太い羽根を接いだ浮子が、へら浮子(ヘラウキ)作りのパイオニアである須藤さんや木村さん達によって創作され、へら浮子(ヘラウキ)はやがて接ぎ浮子時代を迎えることになります。昭和29年のことです。
初期のものは二本接ぎでしたが、より浮力のあるものをという要望から、30年には三本接ぎが、続いて32年には四本接ぎが登場します。昭和31年、日本橋Mデパートで、須藤さんが自作のアンドン浮子三本接ぎ浮子を、須藤式蛍光浮子と銘打って売り出しましたが、これがヘラマニアによる製品発売の第一号となったのです。デパートで催される釣り展に、浮子作りの実演が加わったのもこのころからで、講師も須藤健作さん、木村国男さんがその先駆者でしたが、その秘法を余すところなく公開されて、浮子作りを後進に伝授された功績は、偉大といわなければなりません。
 
〜ブランコ式の誕生〜
逆光にも見えるアンドン浮子が登場し、浮力増大の接ぎ浮子も一般化して、浮子もだいぶ使いやすくなってきたのですが、懸案の道糸が浮子管に絡む問題が依然として未解決のままでした。しかも接ぎ浮子になってからは、浮子自体の重量増量から浮子管部分の道糸がZ形に折れて、一層その絡みが激しくなり、再び、浮子の逆さ差しが話題にのぼりはじめました。
そんな折の昭和31年、差し込み竹の軸と浮子本体を離し、遊び糸でつなぐ方法が考案されました。この立案者は、いろいろ伝われて定かではありませんが、一般に公開されたのは、やはり浅草の須藤さんが早かったようです。その後、この方式は浮子がブラブラしていることから、いつとはなしにブランコと呼ばれるようになり、従来のものを直結として、区別するようになりました。
このブランコ式は昭和52年まで実に20年間ものあいだへら浮子(ヘラウキ)の主流として君臨したのです。
 
次回は流線型のへら浮子(ヘラウキ)誕生です。お楽しみに♪
 
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へらうき(ヘラウキ)工房 茅春
 http://herauki.jp

へら浮子(へらうき)
へら浮子(へらうき)