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へら浮子の歴史ー其の三

 
 
 
〜流線型浮子の誕生〜
 
昭和30年頃までのヘラ釣り場といえば、鈴木魚心さんによって早くから紹介された精進湖を除けば、ほとんどが佐原水郷や安食、古河などの平地部に限られていました。
ところが、32年に群馬県の丹生湖や長野県の松原湖が山上湖として名乗りあげたのを皮切りに、続々と各地の山上湖が登場。どこも新場所だけに大型が続出して、山上湖人気が一気に沸き上がったのです。しかし、丹生湖、相模湖の深場釣り、強風大波の河口湖など、どこもかしこもそれまでの仕掛けでは実状に合わず、接ぎ浮子も三本から四、五本ものが普通となり、浮力も2〜2.5グラムと大型化してきました。
接ぎ浮子の大型化から立ちが悪くなり、34年には、最下部に細い羽根を接いで立ちを良くした改良型が普及してきましたが、このころからヘラマニアの手に入る浮子が、釣具店のウインドを百花繚乱と飾り始めます。その中の一人であった池袋の関山秀次郎さんが昭和35年に、それまでのへら浮子の概念を破った流線型の合わせ浮子を造形、アンドントップ以上のセンセーションを巻き起こしたのです。
この造形法は、羽根を木型にはめ込み削ぐのですが、木型によるものだけに、寸法、スタイルが均一で、その出来映えの素晴らしさは、目を見張るものだったようです。
関山さんの流線型が市販されると、店頭の浮子は、またたく間に関山さんの模造流線型の氾濫となり、接ぎ浮子は姿を消していったのです。しかし、関山さんの浮子は羽根を二つわりしたあとに造形したものですが、他の模造品の多くは、羽根の上下にカミソリを入れてテーパーを作り、無理に絞ったり、飾り糸で造形したものがほとんどでした。
その後一年ほどで、さらに今日普及してる、二本の羽根による合わせ浮子を登場させるのですが、木型によるだけに、正に真円の流線型で、素材の良さと相まって、羽根特有の表皮の凸凹すらない見事な作品が披露されます。
当時は、バルサ浮子が出回っていたこともあって、かなりのベテランまでが、バルサ浮子だと疑うほどに作品はずば抜けていたものでした。
昭和37年の春、関山さんが『釣り人』にその製法を発表されてからは、一段と浮子作りを志す人が多くなり、デパートなどの釣り展には、必ず浮子作りの実演が見られるようになったのです。合わせ浮子は、木型を次々と改良していった関山さんの創意工夫によって生まれたものですが、その造形法を普及させた功績は、ヘラウキ史上忘れられないものです。(昭和48年 丸山高広)
 
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へら浮子(へらうき)

へらうき(ヘラウキ)工房 茅春
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