葉になる人
節になる人
根になる人
人それぞれ生きる場所がある
これは私が小学校の卒業時に担任であった永松先生から一人一人思い思いの言葉を色紙に書かれ贈られたものです。小学校の時から勉強が嫌いだった私に贈られた言葉であり、今思うと勉強が出来なくてもどこかに自分の生きる場所はあるんだよと永松先生は私に言ってくれたのかもしれません。
眉毛が濃くてポマードをつけたオールバック。彫りの深い顔で授業をしていました。永松先生は勉強の出来ない私をかわいがってくれました。私も先生も釣りが大好きだと言うことも原因だったかもしれません。下校時間が過ぎても校庭で遊ぶ私を見つけ先生は「タバコを買ってきてくれ」と今の時代では考えられないお使いまでしたものです。休みの日の日曜日に多摩川に釣りに連れてってもらったこともある。渓流とへら鮒釣りを趣味とする先生の腕前は目を見張るものでした。マブナ竿を手に持ってミミズで釣りをする私のすぐ側で鮒を(ヘラか?)次々と釣り上げるのを目を丸くして見ていたことをいまだに忘れません。そして「このエサでやってごらん」と手渡された一塊の練りエサ、私は悪戦苦闘して丸めた練りエサを針につけようとするんだけど上手くいきません。そのうち手のひらがグチャグチャになったことも良き思い出として残っています。
今は浮子師という仕事をしている私。この仕事が葉なのか節なのか根なのか私には分からないけどきっと永松先生なら分かるかもしれないな・・・
今でも元気に過ごしてるだろうか。ご健在でもかなりの高齢かもしれない。もし健在ならもう一度多摩川に行って釣りがしたいと思ってる。勿論先生の仕掛けには茅春の浮子を付けてあげることにしよう♪
下の画像はバスケの教え子達です。新しく変わった仕事場に呼んでみんなでナベパーティーをしました。大きいナベが無くてタライを使ったのはご愛敬です♪好きなだけ食べた後は顧問の先生達による臨時寺子屋です。この日ばかりは私のように勉強嫌いの選手も真面目にやってました。